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2006/11/22

辻希美をなんとかしろ~!

ケーキづけ
 なんだかハロプロネタでブログ更新するのがおっくうだったので、ここはひとつののたんネタで「ぱあっと!」のんべんだらりしてみたいと思う。

 最近ののん様はすっかり「バラエティ要員」である。そんなかでもわりと「好き放題」やっているように感じるのが救いというかなんというか…。ちょっと前のネタでは、ケーキ食べ放題でモンブランをマジ「食べ放題」してみたり、番組中に業務用のアズキすすってみたりと、なかなか奇抜なエピソードや振舞いを披露していたが、どうやらそのペースが

定着してしまった

 ようで…。いいのか?

きゅりのの
 Cuorius nono(略して「きゅりのの」)が面白い。のん様自身が「シュール」とのたまう微妙なさじ加減が、じわじわとボディに効いてくる。この番組は「台本なし」といいながら、それ以外のシチュエーション設定や小道具などでフォロー(苦労)している様子が見て取れる。スタッフは絶対に「辻ヲタ(しかもきくちPをライバル視している)」しかも「ドM」と見た。(w

 「視聴者から企画募集!」とかいいながら、開始以来ずっと同じ企画が続いていたり(←変える気がないのだろう、たぶん)…。「動かないゲスト」も恒例になったと思ったら、生ゲスト(しかも村さんとアヤカという、辻ヲタにとってはなかなか感慨深い相手)がそれぞれ2回撮りで登場してみたり…。また「動かないゲスト」に戻ったと思ったら、ゲストいじりが微妙にバージョンアップしていたり(小春の回は爆笑しましたよ、ええ)…。あやしい俳優とあやしい雰囲気の中で、まったくオチのない「演技」をしてみせたり…。

 「いったい何種類あるんだっ!」とかいうきゅりののTシャツへのツッコミを含めて、いつのまにかのん様のペースに巻き込まれている気がする。全っ然、計算していないようにしか見えないんだけど、回を追うごとに「実は緻密に計算されたロジックの一部を見せられているのでは」とか思えてしまうのが、なんかスゴイす。限られたネットユーザーしか視聴できないのは残念だけど、この独特なシュールさを正しく評価できるのは、おそらく辻ヲタだけなんで、いいのかな。

フットサル
 4thステージでは2回戦敗退に終わったガッタス。まだ優勝の可能性は残されているけどね。どうしても「ゴレイロ辻希美」の失点シーンに注目が集まってしまうのは残念なところ。チームの微妙な順位とか、他チームのゴレイロとか、そして、今は別のステージで頑張っているであろう紺野とか…。今の「ゴレイロ辻希美」は、見えないライバルたちと戦わなければならない宿命。

 それでも「だいじょぶだいじょぶ」と言ってのける現物主義ののん様だから、ちょっとした気分転換で、いい結果を出せると思うんだよね。リボンだったりお菓子だったり食べ物だったり梨華ちゃんだったり…、とにかくあらゆる状況を「完全武装」して臨んでほしい。さあ、残されたステージはあとひとつ。

シングル
 実はこれが一番言いたい。

シングル出せ~っ!

 もう宙ぶらりんな状態になって1年になろうとしているまま、のん様の歌声はきちんとした記録に残ることなく時間が過ぎていくばかり。ソロ名義でもいいし、Wのシングルバージョンでもいい(今の技術なら、あとから相方の歌いれだってできるじゃんか。これぞ楽曲補完計画!)。きゅりののの主題歌とかエンディングテーマとかなら問題ないんじゃん?。なんならインディーズとかFC限定でもかまわないから、どんな形でもいいから新曲を聞かせてほしい!。いや、カバーでもかまわないんだけど、とにかく全国2222万人の辻ヲタが「お預け」状態のままバラエティ番組をチェックし続けるって、どうなのよつんく♂?

そして…待望の!

のんの19ゲッツ!
あんま可愛いくてもう大変。(はぁと
 いやあ、素晴らしすぎですよのん様。あなたはホンに一流のエンターテイナーですってば、単なるアイドルにしとくにはもったいない。
 セクシーとか、キャワキャワとか、萌え~とか、一切の次元を超越したエンターテイメントの世界を見せてくれてます。
 カメラのむこうの無数の人間を楽しませるってことにおいて、のん様は常にハイレベルなパフォーマンスを繰り広げられる素晴らしき才能の持ち主です。
 しかも、自分もしっかり楽しみつつですからね。病める地球を救うのは辻希美しかいないという私の信念は、また一歩確信に近づいたのでした。
(Created:2006.11.22)

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2006/11/13

死んでもいいの?

日本人的人生観
 「生きる目的とは、なんぞや?」と問われて、しっかりとした答えができる大人って、実は少ないのかもしれない。特に日本人の場合にはね。宗教観も大きく関係しているんだけど、ここでは触れないことにしよう。

 いまどきの歌は「それを見つけるために生きるんだ」などとかっこ良く聞こえるフレーズを繰り返しているが、つまりそこに結論はない。「とりあえず自分で決めろ」と突き放しているだけのようにも聞こえる。だから面倒くさくなって「じゃあ好きなように生きるわ」ってことになれば、とても高尚な結論を見出したとは思えない。そういえば「刹那主義」っていう言葉はあんまり聞かないけど、それが当たり前になっちゃったからかな。

 もっと面倒くさくなると、生きる意味すら見えなくなってくるから、自殺する。「好きなように生きる」ためには、とてもじゃないが今の世界はラクではないから。果てしない苦労の先には、一瞬の栄光か、もしくは牢獄。テレビのニュースは延々とそんな極端な人生物語をショーアップして伝える。苦労するのがイヤなら、割と簡単にホームレスになれる。その代わり価値観もへったくれもないけどね。その手前でかろうじて踏みとどまっているのが、ニートだのひきこもりだの…。ぼんやりと「自分はどのサイクルに入るのかなあ」なんて考えてみたり…。

 親は「普通でいいんだ」とか言うかもしれない。でも、「幸せの定義」があいまいなので、「普通の定義」すらぼやけている。とりあえず勉強して、とりあえず就職して、とりあえず結婚して、とりあえず子供作って…、下手に何千年と繰り返されてきた歴史を勉強してきたもんだから、「その中の」自分が、なんだかひどくちっぽけに見えてしまう。

 自殺しようとして誰かに「死んじゃダメだ!」と怒鳴られても、「なんで?」と質問を返してくる子供は、そもそもの前提知識が大きく欠けているからなんだろうね。彼らの「自分の命なんだから好きにさせてよ」っていう主張に、きちんと反論できる大人がいるだろうか?校長先生すら簡単に自殺を選ぶ世の中で、だ。

 だから、とりあえず大人の役割として、子供が「生きる目的」を見つけるまでは、きちんとした世界観を作ってあげなきゃいけないんじゃないかなあとは思う。子供にとって、親や家族が、まだ「世界」であるうちに、しっかりとした「幸せ」と「普通」とを、「良いこと」と「悪いこと」とを教えてあげなくちゃいけないんだと思う。今の世界は、命の重さがどんどん軽くなってきているから。
(Created:2006.11.13)

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2006/11/08

ひとり去る

 ※毎度のことだが、以下に述べる考察はすべて、いくつかの事実をもとに憶測を重ねた私個人の考えである。真実のすべては知りようがないし、知ったところで現状を変えることなどできない。あくまでも、後付けの理由によって自己の精神衛生状態を守ろうという「本能の現れ」であるということをご了承いただきたい。

急転直下
 アルバムでのメジャーデビューを果たし、いざ発売記念イベントを2日後に控えた夕刻、℃-uteのメンバー、村上愛の脱退および芸能界引退のニュースが流れたのは、私自身について「なぜかはわからないほど」にショックだった。前兆はあったが、これほど急に事態が展開することなど予想していなかったし、村上本人、そして他のメンバーのことを考えても、ただ哀れで仕方がなかったからである。

 「10月31日付けで脱退、11月1日に発表」というドタバタぶりは、いかに予定外の事態であったかの想像がつく。月替わりの日付を選んだというのも無意味ではない(何年か先、その日付だけが記録として残り、記憶の代替となる)が、やはり「噂」の存在が大きく影響していることは間違いない。

 「噂」とは、脱退発表の1週間ほど前からネット上に広まった、いわゆる「恋愛ゴシップ」である(ここでその内容について詳しくは触れない)。ストーカーが発信源とされるその「噂」は、狼板(2ちゃんねるのモーニング娘。に関する雑談掲示板)で多くの議論を引き起こす「祭り状態」となった。もしも、この「祭り」がその範囲だけで沈静化していたならば、事務所は「噂」の存在を無視し続けることも、あるいはできたかもしれない。

 しかし、ゴシップ誌がこれに食いつけば話が違ってくる。低俗化の著しいこれらの「似非マスメディア」は、ネットのモラルなき住人と同様、ことの真偽を確かめるまでもなく、ただ内容の「面白さ」だけを重視して紙媒体に載せるからだ。不思議とも思えるが、いまだに「紙になる」ということは、それなりの権威を伴った情報伝播手段として認知されており、世間的に注目を引くきっかけとなり得やすい。

 こと、今回の件に関していえば、「所属ユニットがデビューしたてであること」「本人がユニットにおける中心的存在であること」「ハロプロ自体に最近ゴシップネタが多いこと」など、「彼ら」が喜々として仕事がしやすくなる条件が揃っている。ハロプロ全般もそうだが、特に℃-ute自体、ゴシップをバネにして知名度をあげるような性質のユニットではないことは、これまでの動向からして明白である(別記事参照)。事務所は「紙になる前に」対策を講じなければならなかった。その結果が今回のドタバタ劇なのである。

 「狼煙(なんの因果かこのような言葉がふさわしい)」は上がってしまったが、その先の延焼は抑えられた。事実、これをネタとしてとりあげた「似非マスメディア」を、私は現時点で把握していない。恐らくは早い段階での対処が効を奏したのだと思う。結果として「引退」というニュース自体もスポットを浴びることなく、彼女はひっそりと姿を消すことになったが、彼女自身の経歴にもほとんど影響することなく、事務所は被害を最小限に食い止めることができたのだ。

彼女は「きれいなまま」去っていった

意思確認
 「噂」に関して、事務所が事前にそのことを把握していた可能性は低い。恐らくは「狼煙」が上がったあと、ネットもしくはゴシップ系の情報網を通じてキャッチし、本人に事実確認したのだろう。本人がこれを認めたのであれば、それは「事務所として」対処しなければならない問題となる。影響は本人にとどまらず、所属ユニット、ひいてはハロプロ全体に及ぶ力を持っているからだ。果たして事務所はどんなことを優先させて、この問題に対処したのだろうか。公式サイトのコメントにはこうある。

(中略)今後予定されているデビューシングルリリースを含む
更なる活動の本格化を迎えるこのタイミングで、
改めて一人一人と話し合いを持ちました。

 あくまでも話し合いの中心人物は村上ではあるが、「意思確認」という言い回しは間違っていない。有原を除く℃-uteメンバーはすでに「芸歴4年」の経験を積んでいる。彼女たちがこの世界へ足を踏み入れることになった際にも、同様の「意思確認」は行われていたはずだ。しかし、当時まだ全員が小学生だった頃に行われた「通過儀礼」は、本人に対してというよりは、むしろ保護者に向けての意味合いが強かったはずだ。皮肉なことではあるが「℃-ute」というユニット名が決まってから、精力的にその活動を続けてきたメンバー個々の「本人」に対して、改めて「意思確認」を行う機会となったのだと思う。

 「意思確認」とは、すなわち「このままタレント活動を続けていく意思があるかどうか」を確認することである。これにはさらに多くの含みが持たせられている。すなわち「タレント活動を仕事として受け入れるか」ということ、「仕事とプライベートの区切りをつけられるか」ということ、「仕事のためプライベートに制限が加えられることを受け入れるか」などである。もちろん村上の場合、「プライベート」には恋愛に関する事柄も含めて考える必要がある。これを保護者である親とともに受け入れられるかどうか。事務所は「噂」に関する事実確認はしたものの、わざわざそのことについて持ち出すことをせず、親同席のうえで本人に問い尋ねたのだろう。コメントはこう続く。

全員と話し合う中、村上 愛から、今年の春先ぐらいから
自分の中で℃-uteの活動と日常の学校生活について常に葛藤を繰り返していた事、
来年2月に予定しているデビューシングルリリースやデビューコンサートに向けて
このままの気持ちで続けていく事への不安、等を聞きました。

 これも勝手な解釈だが、村上の「プライベート」に変化が起きたのは「春先ぐらいから」と読むことができる。学校へ行けば、同級生が「当たり前にしていること」が、自分にはできない。仮にできたとしても、仕事仲間はもちろん学校の友人にも明らかにはできない。それが彼女の「葛藤」となったことは、容易に想像できる。

何度か話し合いを持ちましたが、
彼女のまだ様々な可能性のある14才という年齢、
なによりも本人が悩み抜いて出した結論だという事を熟慮し、
冒頭のような結果(引退)となりました。

 可能性として、事務所は「噂」から彼女を守ることはできたのかもしれない。それでも目の前にある現実は、彼女に悲しい決断をさせるしかなかったのだろう。煙がくすぶりつづける中、彼女は好奇の目に晒されながらステージに立てるだろうか。仕事とプライベートとに心が分かたれたまま、歌いつづけることができるだろうか。「様々な可能性のある14才」を守るためには、それが最善の選択であったとも思える。

普通への憧れ
 およそ4年間芸能活動に携わり、いよいよメジャーな世界へ踏み出そうという段階になっての「この選択」は、彼女の心に大きな痛手を残したはずだ。彼女自身、4年前には芸能界という「特別な世界」に憧れ、オーディションを勝ち抜き、選ばれて今の生活を始めたはずなのに。おそらくはオーディションを受ける以前からも、憧れの実現に向けた努力や試練を経験もしてきたことだろうに。

 それでも、いわば「たった4年」の間に、彼女が憧れの視線を向ける先は「特別な世界」から「普通の世界」へと移っていたという現実がある。これには(彼女のファンに対しては言いづらいが)彼女の「慢心」があったのではないかと考える。これについては後述する。

14歳
 「タレントとしての自覚が足りない」-。そういってしまえば、それまでである。しかし芸能人とはいえ「14歳」の少女の持つ自覚に、どれほどの責任を問えるだろうか。

 「タレントが恋愛したっていいじゃないか」-。それも一理あるが、「14歳」のタレントにそれを許容する風土や環境があるかといえば、これも疑問である。

 「プライベートの問題なのだから、触れる必要もない」-。これもその通りかもしれない。しかし、「14歳」の彼女にとっての「社会通念的な」プライベートとは、家庭と学校以外の場所に求めてはいけないのである。

 これらの矛盾に満ちた「要求」は、「14歳」に限ったことではなく、同じ年代のアイドルタレントすべて(場合によっては成人していても)に課されている。彼女たちは、本当に特別な立場に「立たされている」のだということを、改めて認識しなければならない。これは、本人が認識すべきことというよりもむしろ、保護者をはじめとした周囲の人間に強く求められることである。そのファンですら、例外ではないはずだ。

前例
 「恋愛ゴシップ」「突然の脱退」というキーワードを並べて、矢口の件を引き合いに出さないわけにはいかない。今回の件と比較したとき、相違点と共通点とをはっきりと認識しておかなければ、事務所の対応や本人の行動について、きちんとした評価ができないのではないか。

 相違点ははっきりしている。矢口が成人であったのに対し、村上は未成年であった。こと「恋愛」というプライベートに関して、矢口は(功罪や進退というレベルではなく)自ら責任をとる立場にあったが、村上はそうではない。あくまでも責任は保護者に求められたはずだ。

 村上の「プライベート」に関して、保護者はどこまで把握していたのだろうか。逆にいうと「ゴシップ」を避けたい事務所は、どれほど「プライベート」に関する指導または警告を発していただろうか。前述の通り「14歳」の自覚に求めるには限界がある以上、周囲の人間がやるべきことと、その程度が十分ではなかったといえるかもしれない。その結果がこれである。

 そしてこれもタテマエ上のことではあるが、脱退という「選択」は本人によるものかもしれないが、最終的には、あくまでも保護者の責任において「決定」されたことなのだ。

 共通点について考えると、どちらもグループにおける「優等生」であった。特に村上はキッズメンバー内でも「精鋭部隊」の一員に数えられる。℃-uteの活動が本格的になってきても、彼女の実力ならば、それほど苦もなくこなしていけたのかもしれない。おそらくは、学校生活も同様に、難なく両立できる学力と器用さを持ち合わせていたのだろう。

 ℃-uteというグループ内にあって、彼女のような「優等生」は、流行のファッションをとりいれたり、同年代の感覚や考え方を「輸入」してきたりする面で先頭に立ちやすい。すなわちグループの外(主に学校生活)に視線を向けることが多いのだ。他のメンバーは、自分の仕事を覚えたり、大量のスケジュールをこなしたりするだけで精一杯なので、グループの外に視線を向けることは少ない。このため必然的に彼女のような「優等生」は、グループの仲間から頼られる存在となり、そこに不思議な「特権意識」が生まれる。

 外の世界では「普通に」友人たちが恋愛ごっこを楽しんでいる。でもグループ内では明確に(もしかしたら暗黙に)禁止されている。なんだか禁止されること自体が不当なことのように思えてくる(前述したように「恋愛禁止」は風土や環境から出てきたものであって、実際には彼女たちを保護するためのルールでもある)。そして「自分ならやりとおせる」「自分なら許される」といった、冷静に考えれば許容されない考え方がつきまとい、捨てきれないまま、いつしかそれに忠実に行動しはじめる…。こうして、本人でさえも考えつかなかった結果を呼び込んでしまう。

モラルのない世界
 「人の振り見て我が振りなおせ」。残念ながら村上は過去の教訓から学ぶことはできなかった。いや、できない環境に置かれたのかもしれない。いずれにせよ、この「噂」について知り、その結果を見届けることになった少数の人間は「またか」という印象を持つしかなかった。

 もしも「噂」が事務所にキャッチされなければ…、もしもネットで「祭り」にならなければ…、もしもストーカーがネットに公開しなければ…、このような結果は避けられたのだろうか。分からない。しかし、そのいずれかの過程において、たとえ最低限でもモラルが存在していたなら、避けられたことなのかもしれない。友人N氏は、最初にその「噂」に触れたとき、「噂の伝播役」とならぬよう、以降の不必要な発言を慎んだ。彼は村上をイチオシしていたわけではないが、ひとりのファンとして正しいモラルの持ち主だったと思う。

 事務所が公式のコメントで「噂」の存在についてまったく言及していない以上、その真偽を問うこと自体が「無意味」になった。村上は公の場で「噂」に傷つけられることは免れたが、自らの意思でそこを去るという決断をせざるを得なかった。村上に問われた責は、名目上「本人のみ」に起因するものとして処理されたのだ。これは「モラルのない世界」の住人からタレントを守るためになしうる、最善の処置だったのではないかと思う。

別の理由
 脱退の理由について、別の意見も聞いた。それはゴシップネタの発信源がストーカーであったということに関連する。「自分の身の回りを探る『見知らぬ人間』がいる」この事実に遭遇した恐怖から、脱退を決意したという意見だ。確かにそのような存在を知ってしまうと、日々おびえながら生活しなければならないという苦痛に、耐えられないのではないかという予想もできる。

 しかし、ストーカー自体は、その行為が明確に犯罪と定義されるずっと以前から、特に若年アイドルの周辺には珍しくない存在であった(もちろん肯定されるべきものではない)。ハロープロジェクトキッズに関していえば、UFAが「アイドルの老舗的」な事務所であること、彼女たちはすでに4年以上の活動を行っていること、全員が東京近郊に住んでいるという環境を考えても、「しかるべき」ストーカー対策、もしくは必要な心得はできあがっているのではないかと思う。ただし、「ストーカーが発信源となり得た」ことについては、村上自身の油断に起因するものであるから、その責はやはり本人に問わざるを得ない。これは本当に残念なことだと思う。

空虚
 情報をすばやく大量に入手できるようになった現代。今回の件で私は、知ることの「権利」と「責任」について、より強く認識しなければならない時代になったのだと、教えられた気がする。それは、自由を手に入れるのと同じように。

 「突然の脱退」は、あくまでも村上本人の希望によるものとされ、ユニットのメンバーにしろ、関係者にしろ、もちろん彼女の大勢のファンにも覆せない「決定」となった。公式のコメントを通してこの決定を聞いた多くのファンは、彼女がほとんど何も言わずに去ってしまったことを悲しんだ。しかし、「噂」について知り、その結果を見届けることになった少数の人間は、同時に己の無力さをも思い知らされることになったのだ。

 なぜか、「こと座」に関するギリシャ神話を思い浮かべた。

死んだ妻を連れ戻すため、その手を握って歩くオルフェウス
地獄の王と交わした唯一の約束は
「家に帰り着くまで、妻の顔を見てはいけない」
あと少しでたどり着くというそのとき、彼は振り返ってしまう。

 なぜ約束を守れなかったのか。なぜ握った手を信じられなかったのか。なぜ家にたどり着くまで待てなかったのか。後悔は幾重にも重なる。

(Created:2006.11.08/Updated:2006.11.09)

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2006/11/01

℃-uteファーストアルバムレビュー

 この記事を書いている途中で「村上愛 脱退」のニュースが飛び込んできました。その時点で記事は半分意味を失い、同時に続きを書く思考も消えうせてしまったので、そのまま載せます。ところどころ尻切れトンボだったり、推敲の足りないところがありますが、ご容赦ください。

(参考リンク)
キューティークイーン Vol.1 / ℃-ute」by ねこぽくさん
℃-uteシングルレビュー」by tucker

前置き
 インディーズながら既発のシングル4曲のデキが、いずれもかなりいいので、アルバムの完成度は相当なものになるだろうとの予想はできていた。
 事前にトラックリストが発表されて、「何じゃコリャ?!」と思ったものの、実物を手にしてよくよく聞いてみると、なるほど時代に即したというか、つんく♂ならではのこだわりと遊びの感じられるアルバムであった。
 アルバム紹介としてのレビューは、冒頭に紹介しているねこぽくさんの解説がとってもわかりやすく優秀なので、そちらをご覧いただくこととして、ここでは私の偏った(良く言えばこだわった)視点からのレビューを述べさせていただく。なお、M1.~M4.に関しては、以前の記事での考察も参照していただきたく、簡単なものにとどめる。

タイトル
 カタカナ表記で「キューティークイーン」。いまんところ「ハロプロ最年少ユニット」なんだから、「クイーンではなくプリンセスのほうがいいんでないの?」、とか思っていたんだが、「キュー=Q」でも引っかけてあんのね。そんでもって収録が9曲で「きゅうきょくのアルバム」とかいってるし…、洒落もここまで来ると、ユニットメンバーの健気でひたむきな笑顔が不憫でならない。また、そういう解釈でジャケットを見ると「キューティークイーン」とは、彼女たちを評する側の視点で付けられたタイトルなんだなということが分かる(つんく♂のオフィシャルコメントにも同様のことが書かれている)。

M1.まっさらブルージーンズ
 インディーズデビューのシングルリリース第1弾。略称「まっさら」。出だしこそ有原のシャウトが印象的だが、ボーカルメインはほぼ矢島で、村上、鈴木がこれに加わる。
 とにかく矢島の思い切りのよさとさわやかな印象をそのまんま曲にした感じで、舞美ヲタとしてはうれし恥ずかしイタ痒し(後述)…な曲。この曲がアルバムの1曲目にくることで、「韋駄天娘」矢島よろしく、きれいなスタートダッシュがキマる。

M2.わっきゃない(Z)
 シングルリリース第4弾。略称「稚内」。村上+鈴木がメイン。初期℃-uteのテーマソング。
 コミカルな音とミディアムテンポで、明るい曲調ながら「まっさら」とは好対照の振り幅を見せており、「こっちも℃-uteですよ」とのアピールになっている。

M3.即抱きしめて
 シングルリリース第2弾。略称「即抱き」。情熱的でハードなイメージの歌は村上の得意とするところ。村上と対になる形で矢島が、そしてサポートするように鈴木がパートを分ける。
 テンポは「まっさら」に近いぶん、M1.~M3.の流れは右に左に振るような感じになり、そしてM4.で集大成となる。

M4.大きな愛でもてなして
 シングルリリース第3弾。略称「おいも(←どうやら私だけが使っている)」。鈴木と矢島がメイン。「まっさら」のスピード感、「稚内」のキュート感、「即抱き」の歌詞遊びが1本に集約された曲。
 前半の4曲で揮発シングルすべて並べてしまう構成は、メジャーデビューによって初めて℃-uteに触れることになる層には、右、左、右、ストレートの4連発を浴びせるようなアピールになるのだろう。しかし℃-ute結成、もしくはそれ以前から追っかけてきた「濃ゆいヲタ」にとっては、耳タコに近い状態(なにしろコレしかなかったからね)ので、5曲目からがアルバムの醍醐味を感じる曲になる。

M5.タイムカプセル
 アルバムオリジナル。略称そのまま。ソロパートは梅田、矢島、村上、鈴木の4人で分け合う。この曲で梅田の線の細い声がちゃんと聞けるのが、なんとなくうれしい。
 ミドルテンポで回想的に「青春」をうたう歌は、℃-ute本来のイメージによく合っている。

M6.EVERYDAY YEAH! 片想い
 アルバムオリジナル。略称「EVERYDAY」。萩原と岡井がメイン。
 「ちっちゃいコンビ」がポイントをおさえ、他のメンバーがそれを囲むようにパートを分けることによって、「♪大切なの」とうたう歌詞が際立つ。「おいも」での「♪相当濃ゆいのです」にも通じる、いかにもその年代にとっての感覚、価値観を強調するものとなっている。

M7.As ONE
 アルバムオリジナル。略称そのまま。鈴木がメイン。最初はこれがカバー曲なのかと思っていたが、そうではなかった。
 とにかくサビ全般を歌う「天才系」鈴木の伸びやかなボーカルが気持ちいい。そしてカッコイイ。さすがに「都会っこ」といった感じだ。このサビの部分を、同様に村上や、矢島、そして梅田が歌ったとしても、それぞれにカラーの出る曲になるのではないかと思える。

M8.YES!しあわせ
 カバー曲。略称「YES!」。原曲を知らなかったので、こちらは逆にオリジナルだと思ったのだが、実はカバーだったという…。それぐらいよく℃-uteにはまった曲である。
 どことなくモーニング娘。の「青空がいつまでも続くような未来であれ」に似ている。

M9.ENDLESS LOVE ~I Love You More~
 これもカバー曲。略称「ENDLESS」。パートは村上を中心に梅田、矢島、鈴木の4人で分け合う。
 カッコイイ曲としては「As ONE」を双璧をなす。「As ONE」がクールな都会の夜なら、「ENDLESS」は夏の熱い夜といった感じだろうか。フレーズの語尾の母音をわざと伸ばす歌い方と、村上のボーカルがマッチしていて、大人っぽいというか、なかなかねばっこい雰囲気の曲になっている。「即抱き」もそうだが、村上が前面に出てくることで「聴かせる」部分がクッキリとし、単なる「お子様ユニット」ではないぞという説得力を持たせてくれる。

4+3+2=9
 このアルバムは、タイトルリストの「割り切った感」もまたすばらしい。既発シングル4曲+アルバムオリジナル3曲+カバー2曲を、そのまんまの順序で並べただけである。前述の「濃ゆいヲタ」は1~4をすっとばして5曲目から聞けばいいし、往年の「太陽とシスコムーン」を懐かしむヲタは(果たしているかどうかはワカランが)8曲目から聞けばいい。「As ONE」ならぬ「As you like」である。実際のところ、CDがメディアとして枯れてきつつあり、PCに取り込んでデジタルオーディオプレイヤーで聞くスタイルが普通になっている今、プレイリストも「As you like」と言われているようだ。プロデューサーのメッセージとしては、むしろこちらのほうが正解なのかもしれない。
 そのうえで気がかりなのは、既発シングルの曲順である。この順序が、シングルリリースの順序とも、世間に公表された順序とも異なるのだ。

  アルバム順:M1.M2.M3.M4.
  リリース順 :1. 4. 2. 3.
  お披露目順: 2. 1. 3. 4.

 平たく考えると、「稚内」(M2.)の入る位置がポイントになる。単純に曲調のバランス、またはストーリー性を考えて並べたとも考えられるが、ここはあえて何かのメッセージが込められていると考えてもいいかもしれない。かつての妄想を掘り返して推測すると、そこにはやはり「つんく♂のこだわり」が見え隠れしてくる。すなわち、「まっさら」の次に「稚内」を置くべき、はっきりとした理由があったのだと思うのだ。

矢島舞美の躍進
 ZYX時代の矢島のイメージを引きずっていると、「ボーカル担当」というよりは「ダンス担当」というイメージが強かったので、「まっさら」で彼女がメインボーカルを務めたことに感慨を覚えるとともに、その成長を感じずにはいられない。ただ、個人的に「まっさら」の時点では、正直それ以上のボーカル面での活躍を期待してはいなかった。「まっさら」発表当時に邪推していた「有原推し(別記事参照)」の担ぎ役(=対村上鈴木用防壁)でしかないと思っていたからだ。ところがこのアルバム全体を通して聞いてみても、矢島は「まっさら」のみならず、後述する「ボーカルトライアングル」の1角をしっかりと担っているではないか。
 矢島のボーカルはリズム、ピッチともに正確なほうだが、声の立ち上がりが柔らかいため、あまり「通り」が良くない。これはこれで確かな個性にはなっているのだが、村上、鈴木の「実績に裏打ちされた」ストレートさに比較すると、多少フック気味の歌声となる(このため3人のパートは聞き分けが容易である。そういう意味では、うまくバランスがとれているともいえる)。
 例えば「M5.タイムカプセル」など、矢島に始まり矢島に終わるパート割は、まるで矢島のために作られたような印象だ。そこまでは行かなくとも、前述の矢島の「フック気味の歌声」あってこそ、「生きる曲」になっている。

あれ?、もしかしてつんく♂が矢島推し?

 あながちそうともいえなくはない。

ボーカルトライアングル
 もともと℃-uteでのボーカルといえば、「あぁ!」の鈴木愛理、「ZYX」の村上愛が由緒正しき2本柱となっており、事実「稚内」は、そういう体制であったのだが、いざ(インディーズながら)デビュー曲となった「まっさら」では、矢島と(パートは少ないが)有原をサポートする形で歌っている。実質的にはこれ以降、矢島、村上、鈴木のトライアングル体制を中心にしてシングルがリリースされている。
 アルバム全編を通しても、このトライアングルが入れ替わりにメインボーカルを務めたり(M5,M7,M9)、他のメンバーが前面に出て、それをトライアングルがサポートする位置にいたり(M6)と、柔軟なポジショニングで機能している。これはユニットの表現の可能性を示す点で、大きな強みとなっているはずだ。
 さらに、この3人には、前述したようにはっきりと聞き分けのできる「声の個性」があり、「さわやか系~頑張ってることが個性」の矢島、「情熱系~個性を意識して頑張る」村上、「天才系~頑張ってるつもりはないんだけど個性が出てしまう」鈴木…と、三人三様のコントラストが見られるのも面白い。これは既発のDVD「キューティヴィジュアルVol.1」での「まっさら」を見るとよく分かる。
 そしてトライアングル以外のメンバーもまた、後述する「ボーカルとは違った面」で、より個性に溢れており、その点ではトライアングルを凌ぐパワーを持っているかもしれない。

出し惜しみか資産活用か
 つんく♂的にも、この「女王たち」をプロデュースする仕事は、さぞかし面白かったのではなかろうか。逆に言うとこれだけの個性を発揮する「素材」を調理してたった9曲に詰め込んだというのも、もったいないというか、ある意味贅沢な作りと言えるのかもしれない。
 ここでどうしても、Berryz工房と対比せざるを得ない事象がある。以下の表が何を意味しているか、すぐに分かった人はハロプロキッズ検定初級合格レベル。(w

    1 2 3 4 A 合計
  B 2 2 2 - 7 13
  ℃ 1 1 1 1 3  7

 これは、Berryz工房と℃-uteそれぞれが、デビューしてから最初のアルバムをリリースした時点までの、オリジナルの曲数である。ベリーズはデビュー以降3ヶ月連続のシングル、その後、12曲入りのフルアルバムをリリースしているのに対し、℃-uteはインディーズで(結果的にではあるが)4ヶ月連続のシングルリリースのあと、9曲入りアルバムをリリースしている。この段階でベリーズ13曲に対し℃-uteは7曲と、ダブルスコアに近い数字になっているのである。
 この数字をどう見るかは、人によって異なるだろう。積極的にみれば、℃-uteは厳選された「少数精鋭型」のリリースをしているともとれるし、消極的にみれば、リスクを最小限に抑えた戦略、もしくはつんく♂の「ネタ切れ」ともとれる。まあ今夏発売されたベリーズのミニアルバムでもカバー曲が収録されていることからも、後者とみるほうが正解に近いのかもしれない。
 とはいえそこはさすがにつんく♂。カバーといえど仕上がりにぬかりはない。ベリ、℃-uteそれぞれにベストマッチな選曲とメンバーのパフォーマンスが引き出されている。本当ならこういった「資産活用」は、Wがサイドビジネス的に展開していく目算だったのだろうけど、幸か不幸か、その路線がキッズユニットに振り分けられる形になったのは、なんとも複雑な気分である。

こんぺいとうユニット
 Berryz工房との対比でもうひとつ注目したい点は、メンバーの「個性の力」である。これはメンバー構成がバラエティに富んでいることもあるが、デビュー時期が2年も違うことも大きく影響しているはずだ。舞台の違いはあれど、2年間「芸能人として」修行を積んでいれば、それなりに独自の個性が確立されるという好例だ。とはいえ、各自が自らの個性を主張する、もしくはそれをネタに話を展開するという点では、℃-uteのほうがかなり「うるさい」。ただ黙って8人並んでいるだけでも、バラエティに富む身長とルックスが目にとまるのだから。まだイベント等の内輪でしか披露されていないものの、メンバー間での「いじり」も、℃-uteでは身長年齢の上下に関係なく飛び交っている。この先歌番組などのメディアに登場する機会があるとして、そこで「借りてきた猫」にならず、こうしたメリットが発揮されれば、大きく注目されるきっかけになることも期待できる。

 少々脱線してしまったが、楽曲に話を戻すと、ベリーズでは初期段階から「前列、後列」といったはっきりした区分けがあったが、「ギャグ100」まではだいたい横並びのパート分けになっていた、つまり「とがったところ」が少なかったのだ。℃-uteも同様に、先に述べた「トライアングル」とその他のメンバーに分かれるものの、メンバーそれぞれの個性が強いので、まるでこんぺいとうのように「とがったところ」が多い。そしてこのアルバムでも、若干中島や有原が少ないものの、やはりメンバーぞれぞれに個性を主張する機会が与えられているため、総合して「濃ゆい」内容のアルバムとなっている。

As ONE, As you like.
 最後に、前述したようにタイトルリストの「As you like」な一例として、私が普段iPodで聞いているプレイリストを載せてみる。

  M5.タイムカプセル
  M4.大きな愛でもてなして
  M6.EVERYDAY YEAH! 片想い
  M8.YES!しあわせ
  M1.まっさらブルージーンズ
  M3.即抱きしめて
  M7.As ONE
  M9.ENDLESS LOVE ~I Love You More~
  M2.わっきゃない(Z)

(Created:2006.11.01)

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DO MY BEST/DO YOUR BEST

楽しい毎日のために
 何にベストを尽くせばいいのだろう?
   表向きの「やるべきこと」に?
      自分の「信じたこと」に?

 どれだけ力を注げばいいのだろう?
   周囲の人から「認められるくらい」に?
     自分の決めた「できる限り」に?

 誰に笑顔で応えたらいいのだろう?
   出会う人、すれ違う人すべてに?
     自分が知り、自分を知る人だけに?

 どこへ向かえばいいのだろう?
   誰かが到達した「高いところ」に?
     誰も到達していない「道の場所」に?

 「答えはひとつじゃない」とモームスが歌った。
   我々はそれに同調するだろうか?
     絵空事のように聞き流すだけだろうか?

 我々は考えもせずに納得し、
   考えもせずに笑い、
     考えもせずに泣くだけなのだろうか?

(Created:2006.11.01)

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